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turbo717's Activity 

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松田からの恵那山(早春)

enasan
雨、雪の恵那山

本日は、中津川市松田橋(歩道橋)から望んだ恵那山です。

3/13(日)に降った雪はすこし潅木の見え始めた山々を白く染めました。
絵は19号線の中津川市松田(中津川市中心街を走る19号線で最高地点の松田橋(JR中津川駅から3km東南。国道19号線にかかる歩道橋)からみた雨の日の松田の町並みと恵那山(2191m)です。
馬篭からみた恵那山と角度が違って、この地点からは山頂まで、東南方向、直線距離で7km。
松田→川上(かおれ)から黒井沢登山口→山頂→神坂峠→湯船沢→落合→松田の1周コースで約50km。大変わかりやすい1周コースがこの景色を全て含んで横たわっています。


松田の地区は、標高380m。ここから山頂までの標高差は1800m強。方角は東南方向。
右の山が前山(1350.7m)。不思議なことに、恵那山とほぼ似たような形をしており、近傍では、恵那山と間違えるほど立派で、屹立しております。
JR中津川から見ると、まずこの前山が聳えています。後ろ手の白銀の山が恵那山です。


前山から中津川方向に流れ、中津川と合流し、2km先の木曽川と合流する川が四ツ目川です。



事典:中津川市
中津川市
人口:86,498人(2004.12.31の住民基本台帳から積算)
2/13合併・・中津川市(高峰山(944.7m)、阿木、根ノ上湖)、山口村(馬篭)、坂下町(椛ノ湖)、川上町、加子母村、付知町(付知峡)、福岡町(ローソク温泉)、蛭川村(博石棺、ヒトツバタゴ)

中山道歴史資料館
中山道は、江戸幕府が直轄する幹線道路である五街道の一つであり、その前身は東山道と呼ばれ、古くから西国と東国を結ぶ重要な街道でした。そして、江戸時代には、東海道とともに江戸と京都・大坂を結ぶ重要な街道として発展を遂げました。
 中津川には、中津川宿と落合宿があり、商業、文化面から木曽路との接点あるいは江戸と京都との接点としての重要な役割を果たしてきました。ことに中津川宿の旧家から発見された古文書には、和宮降嫁の行列や天狗党の往来のようすを示す古文書、幕末の混乱期の重要な出来事の一つである「薩長同盟」の密談を伝える文書など幕末を駆け抜けた人々に関する貴重な資料が大変多く存在し、研究者や古文書を所有する皆様からこれらを後世に遺していかなければならないとの気運が高まり、旧脇本陣跡地でもある、NTT西日本中津川ビルを借用して整備することとなりました。
 中津川市の歴史資料として重要な古文書、公文書等の記録類を継続的に収集・保存し、市民共有の記録遺産として永く後世に伝えるとともに、その収蔵資料を広く公開していきます。
中津川市本町2-2-21(NTT西日本中津川ビル)

四ツ目川-遊砂工
施工期間:1994年~2003年(平成6年~平成15年)
・ 構造物諸元:床固工12基、導流堤L=1,500m、付替道路、橋梁等

前山から急流となって流れ下っていた川が四ツ目川です。
現在は、上流に遊砂工が完成したため緩やかな川となっています。

源流となっている前山は、恵那山の西側にある、標高1350.7mの山で、 中津川市内からは、恵那山の前に見えるので、前山という名前が付いています。
さて、この前山ですが、傾斜が非常に急なので、水の流れるスピードが極端に早くなります。
四ツ目川は、大雨の降った日には、大規模な土石流の危険性も秘めた危険な川です。
昭和6年にも、大規模な土石流災害がありました。 「四ツ目川災害」といいます。
この災害は、前山で局地的な集中豪雨があり、その多量の 水によって、前山の土砂が急な斜面を伝って下ってきたものと推測されます。
四ツ目川により運ばれた多量の土砂は、中津川市内を埋め尽くしました。 その土砂は、中津川駅の構内までも侵入してきたといいます。
民家の倒壊が相次ぎ、大惨事となりました。 かの昭和天皇も現場視察に来られました。
このとき、流れ下ってきた大きな岩石の横に立つ写真の少年は今も、80歳で健在で、この惨事を二度と繰り返さないための語りべとなっています。

以来、防災工事が進められましたが、特に大規模なものが、遊砂工といって、緩斜面になった場所で、何重にも低いダムを作り、大雨の時は溜め池のような緩衝池を置くといった工事を行いました。
これによって、土石流などの災害は沈静化されるとみています。


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